2012年5月22日 (火)

金環日蝕と回復の物語

今朝(あ、昨日の朝に、なっちゃった)、金環日蝕を見た。
薄曇りの天気というのも、幻想的なものだった。

「ピークは8時半頃」と言われ、その「ピーク」とは指輪のように完全な細い光の輪が現れることだったけれど、それが過ぎて徐々に月が太陽の正面をはずれて行く様を見るのが、私にとっては面白かった。

まるで、天の岩戸開きだ。

そして思った、これって、人生とか物語そのものではないかと。

人の世のすべての物語は「回復の物語」ではないかと。

ーーすでに在るものを、隠して、再び取り返す。

取り返されるものは、すでに持っているものなのである。

一人で、観察眼鏡の黒い視界の中に、満ちる月のように太り、やがて煌々とぽっかりと天空に浮かぶ太陽を見ていた。ずっと見ていた。
まるで意識だけの自分が太陽の中心で、そこからひとつの黒点やフレアを見ているような気持ちに、ふとなった。

2012年5月 2日 (水)

【刊行のお知らせ】

連載完結した小説『東京プリズン』の刊行について、お知らせします。
お問い合わせをくださった方々、ありがとうございます。

★ 『東京プリズン』は2012年7月に河出書房新社から単行本として刊行予定です。
今その準備をしています。

★ 刊行と同時期の文芸誌『文藝』(河出書房新社)2012年秋号が、「赤坂真理特集号」となります。
その準備も現在進行中です。

どちらもいい本にします(決意)!。どうかどうか、お楽しみにお待ちいただけますれば〜!!!

2012年4月25日 (水)

【新聞記事のお知らせ】

『東京プリズン』の連載版への書評を、松浦寿輝さんが、本日4月25日の朝日新聞朝刊31面(文化面)に、書いてくださいました!

ぜひ、ご一読ください。

2012年4月18日 (水)

晴れた春の朝に降るもの

こんな、雨上がりのよく晴れた春の朝なんかには、聴きたくなる曲がある。
聴いて、無性に外に出て空気を吸い込みたくなる。

格好わるくても、生きているのがいい。
あきらめるなんて、言うなよ。
生きてれば、恩寵だって降ることがある。
それは本当に思いがけなく、思いがけないところから、思いがけない角度で、降るよ。

 同じもんが好きだったよな
 正反対のタチだったのに

 アスファルトの灼ける匂いとか
 雨上がりの空気とか

 吹き出したよな 少し黙った後
 好きな奴まで 一緒だったのは

 アスファルトの灼ける匂いとか
 雨上がりの空気とか 覚えてるか?
 そんなの 忘れてもいいから
 あきらめるなんて言うなよ

       (氣志團 Boys Bravo!)

【メールマガジンが、本日4月18日夜に配信です】

講談社・現代新書のメールマガジン、「まったく新しい物語のために」は18日の夜、配信です。

今回は、「現在の日本社会のいろいろなことの直接のはじまりは、この年にあったのではないか?」 という一年について書いています。
一見、なにごともなかったような一年です。
ぜひ、ご一読ください!

18日の午後五時くらいまでに登録すると、今回分の配信が受けられます。
登録は簡単です。

★登録URL(下記)に登録後、LINE UPから「現代新書カフェ」を選択。
★バックナンバーは、下記2つめのURLに、それぞれの配信から2ヶ月間あります。
https://eq.kds.jp/kmail/
http://eq.kds.jp/kmail/bn/?r=l%3F&m=8

2012年3月28日 (水)

謎のエコビジネス

100%充電の電気自動車、日産LLEAFの宣伝には、首を傾げたくなるところが多い。
http://ev.nissan.co.jp/LEAF/

有名人のLEAFオーナーを起用して、双方、環境意識の高さをアピールしようという戦略にはちがいないのだが・・

まずは、エコの大御所、坂本龍一。
「CO2を全く出していないなんて、こんなに気持ちのいいことはない」

バ カ じ ゃ な い の か な ?
坂本龍一は音楽は良いけれど、エコ発言にはおかしなものが多い。
忘れられないのは数年前に毎日新聞紙上でした、当時はやっていたヤマンバギャルに対する発言。
「ああして立っているだけでどれだけのCO2を排出しているか、ガイガーカウンターのようにつきつけてやりたい」。真面目にですよ、これ。
ヤマンバギャルあなたのが美学に合わないなら、ただそう言えばよい。CO2を持ち出す必要はない。彼女たちが出すというCO2を放射線ににたとえる必要は、もっとない(平時であっても。それは特定の人たちを「不浄」と言うに近いでしょう)。

しかも、ギャルたちは実は、CO2排出量の低い、いわばエコな存在なのである。
徒歩や自転車(せいぜい原付自転車)と、電車かバスの公共交通機関で移動し、街でおしゃべりしたり地べたに座り込んでいたりするだけである。
移動に自家用車やジェット機を使う坂本教授のほうが、CO2排出量は、ずっと多い。ケタ違いのはずである。

100%電気自動車がCO2を出さないというのも、もちろん、幻想以外のなにものでもない。

電力をつくるために、多量のCO2は排出されている、もちろん。自動車の個体からCO2を出さないというだけである。そして「化石燃料を燃やす」という意味で、発電は、ガソリン車が走るのとほとんど変わりがない(まあ、CO2や有毒物質を一括管理できるというメリットはある)。
一台頭のCO2排出量はたしかに、LEAFと一般的なガソリン車では、送電ロスなどを考慮に入れても、LEAFのほうが低く、エネルギー効率がよいという計算が出ているらしい。
が、LEAF一台が走るために作られるCO2は、到底、ゼロからは程遠い。

もちろん、C02排出が少ない発電方法はあるよ。
それが、原子力発電だと長いことPRされてきたんじゃないか!!!

今さらC02を大フィーチャーするポイントはなんだろう?
私は既視感とめまいを感じてしまった。
そこ、現在の最重要課題?
C02の削減に本当に環境に対するメリットが大きいかも、いまだにわかっていない。
もしかしたら、LEAFの開発が東日本大震災の前で、「原子力推進」の前提でつくられたのではないか、というのは、うがった見方か?

              *

別のオーナー、クルム伊達公子の言うことも、ちょっと変だ。
「忙しいときでもリフレッシュの時間はどうしても必要なんです(ヨガスタジオなどに出かけているクルム伊達の映像)。車が自宅で充電できるって、ほんっとうに便利です」

ほ ん っ と う に ?

クルム伊達の家の近くにはガソリンスタンドはないのだろうか? 
そんなことはないと思う。
いつも、ガソリンタンクをすっからかんにして帰ってくるほどグランドツーリングな毎日を送っていたのだろうか? そして近所にはガソリンスタンドが皆無で?
そんなことも、ないと思う。
(ウェブサイトの別インタヴューでは、「くたくたになって帰って来た時に、ガソリンスタンドに寄らなくてもすむのは嬉しい」と語っており、その気持ちならば理解できる)

車を家で充電できるのが「ほんっとうに便利」と人が腹の底から思うからには、要件はふたつある。
 1)近所にガソリンスタンドがまっったくない。
 2)そういう土地で「近場乗り」だけする。
この条件を満たすとは思えないクルム伊達公子にとって、この「便利」は本当に切実なものではない。

実際問題、充電100%の自動車は、「近場乗り(家の近所)」以上の場所に行くには、少なくとも今のところ、不便で不安な乗り物である。
遠乗りして渋滞に巻き込まれたら? 
そこで万一、充電が切れたら?
本人も真っ青だが、それが新たな渋滞の原因になるよね?
そのうえ、ガソリン車なら隣の車からガソリンをもらってすぐ走ることもできるけれど、充電車では、短くて30分は必要だろう。

「電気『だけ』って、ほんっとうに不便です」

と言いたくなる局面のほうが、圧倒的に多いだと思うのだが。
東北大地震の際やそのあとの節電期間に、オール電化の家が本当に不便だと思い知った人も多いのである。

コマーシャルにはもう一人、松山ケンイチがいるが、すぐ忘れてしまうようなことしか言ってない。きっと環境意識の高さをアピールしたかったのであろうけれど。

たしかに、セレブのセカンドカーには、ぴったりだなあ。
ならばある意味、的を射た広告だなあ。

コピーは「セレブのチョイノリ」というのがよくないか。

※坂本さんのファンの方、クルム伊達さんのファンの方、松山さんのファンの方、すみません。そこがポイントではないことをご理解ください。
エコとエコをめぐるビジネス言説や、イメージ戦略の中で、堂々とすりかえや隠蔽(本当のことを言わない)がなされるのが嫌いなだけです。原子力発電もそうだったからです。

2012年2月13日 (月)

歌姫を悼む

 ホイットニー・ヒューストンが、歌い手としてどう特別だったか考えている。
上手い歌手はたくさんいるのだが、彼女には真正に特別なものがあった。
強いてひとつ、言葉にするなら、

 「エアインテイク(吸気)から一秒でトップスピード」

みたいなあの歌い方を出来る人を、他に知らない。

ホイットニー・ヒューストンの歌唱は、ウサイン・ボルトの走りと似ている。
トップスピードに乗るまでの速さ、トップスピードになってからのさらなる伸びしろ・・・。

リンクは、「史上最高のアメリカ国歌歌唱」とも言われる、彼女の1991年スーパーボウルでの歌唱。


見るとこの人、「前線兵士の慰問歌手」とかさせたら、最も似合った歌手だな。その意味で、おそろしくアメリカ的な歌手だ。ヴェトナム戦争時分にでもいたらもっと凄かったのかもしれない、と思わされる。
いずれにせよ、幸せだったかは、別として。

http://www.youtube.com/watch?v=5jeUINzHK9o

2012年2月 5日 (日)

「東京プリズン」について

「東京プリズン」って小説は、21世紀の『英霊の聲』(三島由紀夫)を書きたいと思って、書いた。
ひとつの国民や民族が、戦争によるあれだけの喪失を、数十年で忘れたかのようにふるまえるのは、やはり異常なことだ。
そこに、なんとか少しでも、言葉を与えたかった。

あれほどの喪失に言葉をちゃんと与えられなかったことが、今回の震災や原発事故後の世界にどう向きあうかにも、影を落としているんじゃないだろうか。
けっこうまじめに、そう思う。
原子力発電にいたっては、もろに敗戦の落とし子だしね。

「終わらせる」こと。

節分の日に書き終わった長編連載小説「東京プリズン」。
よく考えたら、2年3ヶ月じゃなく2年半やっていました。まあ、似たようなものだけど?

小説は、書き始めるより終わらせるほうがずっとむずかしいと骨の髄まで思い知った作品です。
なんでもそうかも。

長いものは、「終わらせる」意志を持たなければ終わらない、と思う。
でもむずかしいのは、私の意志と同時に、物語それそのものに内在した「進行」もあるということ。

ぶっちゃけた話、<終わり>と書きさえすれば、私が強制的に終わらせることは、いつでもできる。
だけれど、音楽にコード進行があるように、どうしても終わりのコード進行になっていないときは、わかる。
そのとき私が<終わり>と言うのは、嘘になってしまう。

逆に、「まだまだだ」と頭で思ったとしても、終わりのコード進行が来れば、終わるとわかる。
そのとき私にできるのは、従うことだけ。
そういうふうにできたものは、編集者が見ても、いいと言う。

「終わらせる」意志と、ものごとが「終わるにまかせること」。

英語で言うなら、使役動詞 MAKE と LETの兼ね合い。
一見、相反しています。

意図することと、ゆだねるところ。その兼ね合いとプロセスを、信頼できるか、ってところを、この作品では試された気がします。

今回は、途中は凄く苦しんだり不安だったりしたけれど、終わるときには、終わるとあっさりわかったので、終わって虚脱しないかも、と思ったのだけれど、やっぱり少しは、虚脱するものです・・(苦笑)。

応援してくださった方、いらっしゃったら、ありがとう!
心の底からお礼申し上げたいです。

最終回は、これから出る『文藝』2012春号で読むことができます。
良い最終回なので(ちゃんと書けて終われているときは、自分にわかるから)、読んでみてください。
単行本には、数ヶ月でなる予定です。

ひとつのおわりとはじまり

2月3日、「東京プリズン」という小説の最終回を終えた。
2年3ヶ月連載していた(河出書房新社の文芸誌『文藝』)作品で、その象徴的なテーマが「冬を終わらせる」ということだったので、気がつけば節分に終わっていたのが感慨深かった。
翌日、立春は、春がくる日だから。

途中、とうてい終えられそうもなく思えたり、終わろうとしても話のほうが終わってくれないことがあったりして、物書きなんて、最後には根性しかないぜと思った。どんなことも、そうなんだろうけどね。
最後には(あるいはことのはじめに)、決めることと、覚悟しか、無いんだと思う。
いろんなことを教えてくれた作品だった。
小説を教えてくれた作品だったかもしれない。
2年3ヶ月の背景は、私が30年間抱えた問題というか鬱屈というかだったのだけど。
終わるときには、終わるもんだ。
30年前には、人生で30年という時が過ぎるなどと考えなかった。30年抱える問題があるなどとも考えなかった。
そんな人生詐欺だと言いたくなることもあったけれど。
でも、30年前より今のほうがずっといい。


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