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2010年12月

2010年12月20日 (月)

観ずに語るSPACE BATTLESHIPヤマト その弐

 いくら観ていないと言っても、本当に何も見ずに書いてはいけませんな私。
 今日は、ネットであらすじや評判をみて憶測して書いてみます(笑)。先週金曜日から週末にかけて、劇場に行けなかったんですもの。

 通信士の相原は削除されてはいないんですね(って、そこか!)。でも女の子に改変されているそうで。きっと、ただのフラウボウなんでしょう。ホームシックや閉鎖空間での月月火水木金金な艦隊勤務から精神に軽い異常を来たしふわふわと宇宙遊泳に出てしまう相原君のシーンは、アニメにおける<弱き者の名場面>というか、宇宙空間での人間心理を表現したものとして秀逸でありましたのに。ちょっと残念。ガンダムが実写化されたとき、潜入した女スパイに感情移入しすぎたクルー、カイ・シデンのエピソードが削除されてるくらい残念。   
 まあ、けれど、かつてのアニメとどこがちがうという間違い探しみたいな見方をせず、別物として観ればそこそこ楽しめる映画のように見受けられます。実写版のヤマトは、現代の職場らしく女性クルーも多く、戦闘機乗りだというなら黒木メイサも適任でしょう。女戦闘機乗りのキャラは好きであります。
 キャラクター設定のマイナーチェンジや配役はよしとしましょう。
 敵のガミラス人が、なんと人間型(ヒューマノイド)生命体でなく、クリスタル状鉱石質生命体で意思集合体で、したがって、人気キャラだったデスラー総統やドメル将軍も出てこず、魅力的な会戦もおそらくないってことも、まあいいです。

1 ただの予算不足 
2 敵も描くには映画の尺不足
3 1,2の複合
4 欧米展開をにらんで、ナチスを想起させる陣営、そしてそれをある種の美学とともに描くことを避けたかった。日本人が「ナチス好き」ととられる可能性を避けたかった。

 などの理由から許してあげましょう。 
 目をつぶってもいいです。

 クリスタル状鉱石質生命体で意思集合体であるということが、作品全体に影響を及ぼしたつくりの脚本になっていさえすれば!

 ウィキペディアによればガミラス人は:
    ガミラス戦闘機や人型のガミラス兵のような鉱石質の体を持つが、本体はクリスタル状鉱石質生命体で意思集合体であり、人間に乗り移ることができる。ガミラスは地球側がつけた名称で自身はデスラーを名乗った。地球を移住先にするため遊星爆弾で環境改造を行っており、人類自体は排除すべき存在としている。
    ガミラス(デスラー)は相互理解が完全にできない存在として登場している(原作では共感しあえる部分もあった)。ただし感情のようなものは有り、デスラーは「我々は決して屈辱を忘れない種族だ」と語り、デスラー艦で地球を滅ぼそうとする。
    引用終わり。

 ガミラス星とその双子星イスカンダル星は、おそらくアニメと同様、星の末期に差し掛かっている。それでガミラスは移住先を探して地球侵略に乗り出すというわけです。そしてその構図は基本的にアニメと同じ。だが、「移住先を探し、そこの先住民を攻撃する」って考え、それはやはりヒューマノイドっぽすぎる発想であるように思われます。
 クリスタルというのはある意味、星そのもののような存在です。だから、全体が死につつあるとき、生き延びようとする意思を持つ部分があっても不思議ではない、かもしれない。
 だけれど、その生き延びようとするやり方が、ヒューマノイドっぽすぎる、あるいは擬人化されすぎている、という感じがする。
 クリスタルにはクリスタルの存在形態と思考のあり方があるはず!

 そのガミラス生命体は、人に乗り移ることもできる、と。
 だとしたら、地球を攻撃し、地球を汚染し地球人を殺すことは、得策ではなさそうな。大地の産物、クリスタルであるならば、基本的に清浄な大地を欲するはず(もちろん、先日話題になったヒ素を取り込む生命体みたいなものならこの限りではないのだが、それはそれで、設定に組み込むとまた話が変わる)。地球人に乗り移ることができるなら、乗り移る先がいるほうがいい。
 そんなガミラス生命体が本当に、母星を離れて生き延びたいと思うなら、もっと違う攻撃を地球と地球人にするだろうよ? と思うわけなのだが。爆弾を飛ばしたり、戦艦を造ったり、と地球人みたいな事はせず。精神に侵入するとかね。ウイルスに自らを仕込んで人に侵入するとかね。クリスタルはもっと平和的だろうとか言いたいのではない。同じ土俵で戦えば、勝つチャンスは物量、テクノロジー、または戦略にかかってくる。地球人が思いもかけない方法で侵略したほうが分がいいと思う。相手が知らないうちに侵略できたら効率としてはそれがベストだ。ただまったく知らないとお話にならないので、土壇場で地球人が感づくという設定で・・・

 ガミラス生命体は地球人との相互理解ができるような存在ではない、とされるのだが、こんなことも言うという。

「我々は、屈辱を決して忘れない種族だ」

 これ、元は人間だったとしか思えないものの台詞だ!
「わからない存在」と言うには、発想が「人間的」すぎる。
 鉱物はこのように考えないだろうし、実のところ動物だって、こう考えやしない。
 地上にいる野生の動物が、「先シーズン縄張りを荒らされメスを取られたあの屈辱忘れまじ!」とかずっと覚えていたら大変なことになる。
 人間だけがこう考える。
 クリスタルが自発的にこんなことを考えたとしたらそれは興味深いので、その理由を脚本は描かなければならない。
 元は人間もしくは人間型生命体(ヒューマノイド)だったものが、環境汚染により存続が危うくなり、自分たちの記憶やデータをクリスタルに退避させ(そのときの情報圧縮などにより個別の境界を失い集合意識体になった。それがデータの移行先として別の惑星や人間型生命体を探していた、という話ならわかる。でも、だとすると、移住先や乗り移り先を害することは、やはり彼らに得策ではない気がする。

 さあ、どう落とし前をつけてくれてるんでしょう?

 いよいよ観に行きたくなってきました!

 しかし、しかし、しかし!

 いちばんいけないのは、宮川泰先生の音楽を使わなかったこと!!!!!!

 あの音楽こそが、真に時を超え、世界に誇れるものだったんだがなあ。あれに比べればホルストの『惑星』シリーズなんて! と思うくらいだ(ホルストファンのみなさんごめんなさい)。
 遠い遠い星をバックに女声のスキャットが流れる・・・古今東西、「宇宙」への憧れと畏怖を表した楽曲であれ以上のものはないと私は思う。そして、遠い遠い美しい星にやっとたどり着き迎え入れられるときに流れる『イスカンダルのテーマ』!!! オーボエの茫洋とした旋律に、甘いストリングスがかかってくる!!! そこは遠い星であるのに「郷愁」というものをなぜか強烈に感じさせ、中学生のみぎりから、宮川泰先生はこの一曲だけで一生お許ししますと思っていました・・・(涙)。

 なのに! エンディング・テーマがスティーヴン・タイラー・・・いい歌手だけど、予算の無駄遣い。その分を脚本に回せ。それに『アルマゲドン』じゃあるまいしという冷笑あるのみ。ハリウッドに対するコンプレックスを垣間見せてしまう人選だなあ。第一アルマゲドンなんて、それにあやかる効用がゼロの映画であるし。 

2010年12月16日 (木)

佐渡先生が酔いどれのわけーー観ずに語る『SPACE BATTLESHIP ヤマト』

 ブログって、書こうと思うと一日三つくらいアップしちゃいそうだし、仕事に差し支えるのでその衝動を若干なだめるとゼロになったり、更新しない日が続くと意地になって更新しないという気になったり、バランスがむずかしい。ツイッターが前世いや全盛の昨今、こんなことを言っている人間も珍しいでしょうが、ツイッターってほんとよくやれるなあ、と他人を見て感心するよりほかはない・・・かなり中毒性が高いともいうのだけれど、心の平衡を壊しちゃってる人はいないんでしょうか、私は性格が依存症的なのでとてもできません・・・デイトレードといっしょでツイッターで生活壊れてる人っていないんでしょうかと心配する今日この頃の老婆的乙女心であります。
 というわけで、観ずに映画レヴューなどをやってみます。

  『ヤマト』を劇場で観たいと、一ミクロンだけ思っている。こんなお年寄りが多ければヤマトはそこそこヒットするだろうし、それらピープルがDVDまで待ってしまえばコケるだろう。しかし、子連れで見て子供が楽しいものとは全く思えない。『ヤマト』は私にとっては幼年期の終わりに観たアニメで衝撃を受け、次に衝撃を受けるのが『エヴァンゲリオン』、というのは、これこそがワープ体験である、とかうそぶいている。
 手袋くわえた木村拓哉が(彼はなぜかいつも何かをくわえて歩いている。忙しさが美徳だった時代の残党だろうか? それとも前世が犬?)古代進というのはなんだかな、とは思うけれど、さりとて他にできそうな役者もいないのだ。木村拓哉需要の一端を見た気持ちである。アニメ顔っていうのかしらこれ、小栗旬・・・・・・ではダメだし水嶋ヒロ、やっぱダメだし藤原竜也、これもだめだしオダギリジョー、腐肉とのハーフみたいな彼の不思議な肉質はむしろ敵役のデスラー総統に推薦したい。かろうじて向井理? やっぱりだめだなあ。彼には南方戦線があったことだし、どっちかっていうと通信兵って感じだし。そういえば通信兵の相原君が映画ではさっくり削除されていると言う。いけない。彼は宇宙空間での人間のもろさを表す重要なキャラだったのに。
 キャスティングで残念だったのは、原作で紅一点の森雪役を沢尻エリカが降りたこと。彼女の、グラマーではないがエロイ曲線とか目じりや睫毛のラインは、松本零士のヒロインに本質的に通じるものがあった。彼女が出てたら、コスプレとして楽しめる作品になったかもしらん。黒木メイサには、森雪のちょっと白痴っぽいエロスが出てない。沢尻エリカ様におかれては、『銀河鉄道999』のメーテルのオファーが来た日には逃さず掴むことをお勧めする。それで時々、謎の銀河存在に罰を受け鞭打たれる! どや! 
 いただけないことはたくさんある。木村拓也は38歳かもしれないが、森雪が古代進を「古代さん」と呼んではいけない。芸能界の序列もあろうがそこはジャニーズ事務所の偽リベラリズムよろしく君付けで「古代君」と呼ばなければならない。なぜ先輩にも君呼ばわりのジャニーズ方式が偽リベラルかというと、よく聞くと同い年や年下には君付けしないので、「君付け」は「さん付け」と同じ法則でできていて、アメリカかぶれだったジャニー喜多川、ユーもまた儒教圏の人だったんだねとわかるからだ。
 とにかく「古代君が死んじゃうっ!」と「古代さんが死んじゃうっ!」ではわけがちがう。
 酔っ払いの軍医、佐渡先生が高島礼子というのもいけない。これがいちばんいけない。日本酒を勧めてくれお酌もしてくれる、という連想からかもしれないが、考えてもみよ、保健室にお色気要員がいてお酌なんかしてくれた日には、兵士の士気が上がらないことおびただしい。場合によっては兵士の現実逃避のきっかけにさえなる。穿った見方をすればそれは、高度経済成長期に「企業戦士」たちの癒しとなっていたと言われる「バーのママ」機能が期待できるのかもしれないが・・・・・・
 佐渡先生は、今になってみると原作の隠れキーパーソンではないかという気がするので、ああいう人でなければならなかったのである。佐渡先生を女に代えるくらいなら女性エンジニアチーフかなんかのほうが説得力がある。私はエンジニアチーフの真田さんのファンであったけれど・・・・・・。『スター・トレック』の最新のものは女性艦長だ! 女機関長もけっこういいね。

 だけど佐渡先生の改変だけは、いけない。

 佐渡先生は沖田艦長、徳川機関長(ああ、松本零士がなぜ徳川という姓を持ってきたかも興味深いですね!)と並んで、「古い戦役の時代」を体験し語れる年代の人間で、経験のない若い速成クルーの役に立つ。お年寄りたちは、平時でとっくにお役ご免となり「老害」とかおそらく煙たがられていたのであるが、とつぜん地球が宇宙からの侵略を受けたために、若いクルーを率いて老骨に鞭打って立ち上がり、銀河の彼方イスカンダルへ長征何千光年することになったのである。
 佐渡先生。基本的には愉快な人で、猫が親友で酔ってはたしか軍歌なんかうなる佐渡先生。
 彼が、なぜそう造形されたか、今になるとわかる気がする。酒は大人なら誰しも多少はたしなむ。けれど「いつも飲まずにはやっていられない」となると、理由がある。

 佐渡先生が一日中飲む理由は何か?

 先の戦役の傷は、誰もが胸にしまって言いはしない。それは日本の「先の戦役」と全く同じである。
 でもなんらかの「症状」として出す人はいた。それが「自殺」である人もいただろう。

 私の叔父が海軍兵学校にいた。叔父が、家族同然かある意味それ以上に大事にしていたのが兵学校の同期で、叔父はいつもへ医学校の同期と一緒にいた。その中に、愉快な酔っ払いのおじさんがいた。昼間っから飲んでいて楽しい話をするので私は好きだった。が、あるとき彼はとつぜん自殺した。意味がわかったのは、かなり後のことである。

 つまり、<あの人はしらふで戦後を生きていけなかったのだ>、ということが。

  たとえ周りの人すべてが過去を忘れたように生きていても、忘れられない人、それに耐えていけない人、などは一定の割合で存在する。存在しなければまた、その社会は不自然だろう。またそういう人たちをなかったかのように扱ってきた私たちの社会は、かなり不自然だったと言える。
『宇宙戦艦ヤマト』は、戦後がまだ終わっていなかった時代に必要とされた物語である。そして今も戦後は終わってないからこそ、今さら実写になりえたのかもしれない。
「もはや戦後ではない」とは、それが事実でないからこそ、言われた。そのコピーが忘れられてしまっても戦後ではあり続け、今でも戦後処理はできていないと思う。今の社会の不具合は、戦後にでき米ソ冷戦下で確立されたシステムが、もう機能しなくなっても代案を政府が出せない状態だと思うから。 

 だから、片道分の燃料だけを積んで、まるで死出の旅に出てあえなく撃沈された戦艦大和が、実はまだ生きていて、それと日本人こそが地球を救う、というヒロイズムがある時代に必要だったのだし、今もある程度、必要なのかもしれない。穿った見方をすればね。

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