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2011年2月 1日 (火)

ロボット戦争

先の1月22日、昔の師にウルトラ久しぶりに誘われて、「ロボット兵器に関するシンポジウム」というのに行った。師は、私が大学生のころ縁あって関わった研究者かつ物書きで、その書くものに私は大きな影響を受けている。師に私が弟子や生徒という認識はおそらくないだろうが、私にとってはずっと心の師である。

さて、シンポジウムの話は主に米軍だったのだが、そこでは兵器のロボット化が進んでいる。ロボット化は、無人化、リモートコントロール化も含んで進む。

曰く「自爆テロに対する答えはロボットだ」。

端的な風景は、無人攻撃機「プレデター」(「捕食者」の意)のパイロットの日常。
米本国某所にあるトレイラーを改造したコクピットに毎日「通勤」し、午前中はイラク、午後はアフガニスタンの無人機を操縦し、ロボットが送ってくる画像を判断し、ターゲットを見つけると、ボタンを押す。
一日のうち、彼に危険があるのは「行き帰りに運転する自動車だけ」。

戦争のこうした流れを湾岸戦争の「ニンテンドー・ウォー」に続いて「プレイステーション・ウォー」と形容するらしいが、プレイステーションに例えることはプレイステーションに失礼であろう。リモコン端末を使ったドッグファイトからさえ程遠く、撃ち返してくることのできない対象を空からリモコンのボタンひとつで撃つのだから。 
「ぽちっとな戦争」と呼びたい。
「ぽちっとな」ばかりボタンを押すと何万キロも離れた場所の対象が吹っ飛ぶのだ。何の実感もないままに。
かつて、米ソいずれかが核ボタンを「ぽちっとな」と押さないためにすべての外交努力や交渉や地域紛争や・・・・が行われていると語られた時代があったが、この「ぽちっとな」はひどく簡単に押せる。この場合地上の者や物はなんの抵抗もしてこない。抵抗のしようもない。

こうした爆撃に、誤爆が多く、民間人の巻き添えも増える一方らしい。
これに対するアメリカ軍の回答は、「誤爆ではない。戦闘員を識別する情報が不十分なのである」

まあ、誤爆である。

ブッシュ元大統領が辞任に当たって、イラク、アフガニスタンなどへの攻撃が間違いではなかったかと問われて「それ自体は間違いないと信じているが、情報の誤り(intelligence failure)があったことは残念だ」(大意)と言ったのと似ている。
その結果、世界がどうなったのか。その結果の世界を、私たちは今生きている。

そして世界の戦争の趨勢は、ロボット戦争となるのではないか、という。
そこでは「安全に戦争をすること」が可能になる。
アメリカ人の血を流すことなく、多大なコストカットにもなる。

オバマ現大統領も、国内の支持をとりつけるのと(同国民が血を流すことが少なければ国内の支持をとりつけやすい)、軍予算の縮小(数字上の)に必死なんだろう。大統領に就任した頃の輝きが失せてしまって、残念に思う。

これはやがて、米本国にテロリストを呼び寄せるだけだ。
時間はかかっても。そう、忘れた頃に。
それが9.11の意味だったと思うのだが。

テロは兵器で起きるのではない。
テロは「人」ですら実はない。
テロは、感情で起きる。

テロが戦闘員とがっちりイコールであるならば、そこで敵対している人をすべて殺せたなら終わるはずである。
しかし仮に敵対集団の戦闘員すべてを殲滅できたとしても、戦争は終わらない。
「感情」が連鎖するからである。
「軍隊を滅ぼすことはできるが、国民を滅ぼすことはできない」と言ったのはたしか毛沢東だ(プッツン前の)。
そして「感情」こそは、文化も国境も超えうる。

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