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2011年8月

2011年8月18日 (木)

【8月18日 メルマガ第3回配信のお知らせ☆】

【メルマガ第3回配信のお知らせ☆】
 もう一度お知らせいたします。
 本日8月18日、18時ころまでのご登録で、第3回を確実にお読みいただけます!

 311と重ねて【戦争と戦後】を語るという試みをしています。

 「戦後」とは、その見た目がどうであれ、巨大なPTSD(心的外傷後ストレス障害)の時空にほかなりません。「心のケア」とはこのごろよく言われることですが、日本史上最大のPTSDは、手つかずでほうっておかれました。それが私たちにどのような影響を与えてきたか? これは今でも私たちすべての問題です。
 私は、「これ」を感じて生きてきました。

 ★登録方法は下記:
 登録URL(下記)に登録後、LINE UPから「現代新書カフェ」を選択。配信は毎月8日と18日。私の配信は毎回あるとは限りません。他の著者のもあります。私の初回と第二回は、バックナンバー(下記2つめのURL)に、それぞれの配信から2ヶ月間あります。
https://eq.kds.jp/kmail/
http://eq.kds.jp/kmail/bn/?r=l%3F&m=8


・・・・ところで、どうしてときどきブログの文字が小さくなっちゃうのかなあ? どなたか知っていたら、教えてください。

メルマガ配信 8月18日

8月18日はメルマガの第3回配信日です。


【まったく新しい物語のために 〜愛と暴力の戦後とその後】
 高度経済成長期のスタンダードをいまだに「前提」としていた日本社会は、完全に行き詰っていました。そんな「戦後」に、強制リセットがかかったのが3月11日だと私は思います ここからの再生ヴィジョンを描くことは、まったく新しい物語の創造です。「加害者」のいない悲劇から、どう、再生するか。それを描けたら、世界への貢献だと考えます。私は、微力ながらその一助になりたいのです。

★登録方法: 登録URL(下記)に登録後、LINE UPから「現代新書カフェ」を選択。配信は毎月8日と18日。私の配信は毎回あるとは限りません。他の著者のもあります。私の初回と第二回は、バックナンバー(下記2つめのURL)に、各2ヶ月間あります。
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配信は毎回午後7時ころなので、18日午後6時くらいまでにご登録されると、第3回の配信分が確実に読めます。入稿したて! 自信作!・・・というか、信頼する担当さんが感涙したと言ってくれて、心の支えになりました・・・・・・このブログの読者の方にも、読んでいただけるとほんとうに嬉しいです。 
ぜひ、ご登録ください!

 

2011年8月15日 (月)

なでしこジャパンとパール・ハーバー

なでしこジャパンのことを前に書いた。面白いことを思い出した。
サッカー女子ワールドカップ決勝戦(日本×アメリカ)の試合が、​中止の際に用意されていた番組は、どういう巡り合わせか『パール​・ハーバー』だった。
さらに面白いことを思い出した。「アメリカが宿敵である」構図は​、なでしこジャパンが表舞台に出てくるまで、現代日本のスポーツ​シーンには、なかった。
このことの社会的意味は?
・・・なんてことを、次回メルマガに準備中。ぜひご登録ください。
もう一度、紹介文から貼りつけておきます。
【お知らせ】メールマガジン連載の開始
【まったく新しい物語のために 〜愛と暴力の戦後とその後】
 高度経済成長期のスタンダードをいまだに「前提」としていた日本社会は、完全に行き詰っていました。そんな「戦後」に、強制リセットがかかったのが3月11日だと私は思います ここからの再生ヴィジョンを描くことは、まったく新しい物語の創造です。「加害者」のいない悲劇から、どう、再生するか。それを描けたら、世界へのとてつもない貢献だと考えます。私は、微力ながらその一助になりたいです。 
★登録URL(下記)に登録後、LINE UPから「現代新書カフェ」を選択。配信は毎月8日と18日。私の配信は毎回あるとは限りません。他の著者のもあります。私の初回と第二回は、バックナンバー(下記2つめのURL)に各配信から2ヶ月間あります。
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終戦の日

今日は終戦の日なんだけど、周りにそれを言う人が皆無に近い・・・。なぜだろう? 今日は、終戦の日、だよね!?? 終戦「記念日」とは言いたくないものがあるけれど・・・。あまりに誰も言わないので、日付を疑いたくなる。静かだ・・・。

メ ディアももう、アリバイ程度にしか終戦の日だと言わない。戦争関係の番組は、追悼集会も含めてNHKに3つ。民法には、ない。マスメディアが終戦の日のことを 言わなくなったのは、私見では、2008年の北京オリンピックの夏からだ。みなさんには、そんな感覚はないだろうか? いつの間にか、社会がその話をしな くなったというような。もしかしたら、もしかしたらそのタイミングを待ってたんじゃないかというような(特にマスメディアが)。

忘れちゃいけないことは、忘れちゃいけない。どんないやなことでも、その中にあるささやかな心潤う話とともに。

今で言えば終戦というのは「心のケア」が莫大に必要となったときだった。それをする暇も金も心的余裕もまったくなく、ねじれも抱え切ったまま、日本人は生き延びることに精一杯だったのだけれど、だからこそ、その「PTSD」が後の世代が負ってるのだと思う。

誰にとっても、まだまだまだまだ、他人ごとなんかじゃない。

あー・・・何言ってんのかなあ私。8月15日だからね。

あまりに不安になったので「終戦の日」を調べてみた。

 

「日本においては、第二次世界大戦(太平洋戦争(大東亜戦争))が終わった日を指すことが多いが、実態は玉音放送が放送された日である」(Wikipedia)

 

おお! そうだったのか! やっぱ、日付間違ってんじゃんある意味!

そういえば、連合国軍は、降伏文書に日本が調印するまでは、日本が降服したとみなしていなかったと、前に読んだことがある。

「日本にとっての近代とは、アメリカの軍艦(黒船)に始まり、アメリカの軍艦(降伏文書調印の軍艦)に終わった期間のことである」とも。

日本とそれ以外の国のこの認識のずれも、かなり本質的なものがある気がする。本質的で、かなりマズイことな気がする。興味を持ってそれを調べない限りわからない仕組みになっていることも、またマズイ。そのことは、また追っていきたい。

でもほんと、私みたいなのが今さら驚くっていうのは、本当は本当にマズイことだ。教育が決定的に失敗している。

歴史を忘れて生きていける民族がいるとは、思えない。

2011年8月 3日 (水)

「ありがとう」の呪い について

あ〜 仕事してるとなぜブログって存在を忘れちゃうんでしょう(T_T) 私の脳の容量が小さいからでしょうか、要領が悪いからでしょうか(T_T)

夏休みの宿題ばりに、前の日付のことを書くし・・・・

でも気を取り直してぼちぼちやっていこうと思います。

今日はなでしこジャパンと、それに対する反応のことです。

                         ☆

友人が私に「優勝したなでしこジャパンに対して、 「おめでとう!」ではなく、「ありがとう!」というコメントをしている日本人が多かった。しかし日本語的には、ここは「おめでとう」を使うのが筋ではないか?」という質問をしてきました。そのことについて考えてみました。

いつごろからかははっきりわかりませんが、大 きな試合になればなるほど、その勝利や健闘に「おめでとう!」ではなく「ありがとう!」という言い方を日本人はするようになってきたと思います。これは 「感動をありがとう」「希望をありがとう」なのです。特に国際試合に顕著です。前回のWBCの優勝のときも、男子サッカーW杯健闘のときも、あるいはオリ ンピックの陸上男子リレー銅メダルなどのときも、言ったと思います。

健闘した人を讃えることより、自分が健闘を見て元気が出たこと主眼があります。そこに ものの見方の「重心シフト」みたいのが起こっていると思います。

ひとつにはやはり、不況の背景があるかと思います。明るい 話題が少ないから、というやつです。でも、もともとそうであった気もするのです。何かを見る人は、自分の体験としてみるわけで、自分に引きつけて考えな かったら、そもそもそれを見ないという気がします。だとしたら、プレイヤーを讃える「おめでとう」より、自分の体験としての「ありがとう」と言うのは自然なのですが。人が純粋に「おめでとう」というのは、誕生日や結婚や節目などの折に対してであり、純粋に相手のイベントであるときなのかもしれませ ん。

対して、TV中継される試合などは、半分以上は他人のために行われているのではないかと思います。これがもしメディア がからまない試合であったなら、もしかしたら純粋にプレイヤーをたたえるのかもしれません。たとえば親が子供が草野球の試合で勝って「ありがとう」とは言 わないと思う。

「ありがとう」と言う時、そこには<自分>がかかっています。

ゲームに公共性が高くなるほど、人はそこに抽象的な何かを仮託する。国とか、郷里とか、自分の苦境とかを。そこに「ありがとう」が発生するのではないかと思います。

「ありがとう」というからにはそれは、相手のことに見せかけた自分のことです。<代理なんとか>の匂いがします。

「ありがとう」はいい言葉とされていますが、案外エゴイスティックな、危険を孕んだ側面があるのではないかと疑ってみる視点があってみてもいいと思います。

同じくサッカーの男子ワールドカップで、オウンゴール(当時日本語で「自殺点」と言った)をしてしまったプレイヤーを、帰国した空港で自国ファンが射殺するという事件が以前ありました。射殺のそのとき犯人が言った言葉も「ありがとうよ!」でした。

誰かに自分を仮託し、自分は座して期待する気持ちと、それに応えてもらった礼として言う「ありがとう」は、簡単に反転しうるのではないでしょうか。

その意味で、なでしこジャパンの受難はこれからかもしれないし、これからこそ、浮き沈みがあろうと彼女たちを応援し続け、今夏言った「ありがとう」を反転させることなく見守るのが本当の応援者でしょう。

そして、こうしたすべてを取り払っても、なでしこジャパンは素晴らしかったと私は思います。このことは明記しておきます。

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