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2012年1月

2012年1月18日 (水)

東京プリズン

文芸誌『文藝』(河出書房新社)に連載してきた小説「東京プリズン」が、やっと終わる兆しを見せた。
はぁ〜。
次が最終回。終わりそうで終わらず、何度も、話が私を離してくれない、みたいなことを繰り返して、2年と3ヶ月くらい、書いてきた。
始めた頃にはまだもちろん、東日本大震災なんて起きてなかった。

これは、戦争と戦後、そしてそれが私たちに今も落としている影のことを考える小説です。
私の個人的な体験が核となっているけれど、フィクションで、「セルフ・フィクション」とか呼んできた。

これを書いている間じゅう、いつも余裕がなくて、終わらなければ、先へいけない気がしていた。
散髪なんかにもたまにしか行けず、巷の「女子」なる概念などとは程遠い生活。

ひとつたしかなのは、私たちは、あまりに大量の死に対して、物語(言葉)を与えなかったということだ。
あまりに大量の死に直面した時こそ、人は新しい物語を必要とするのに。
「神話の更新」と言ってもいい。
それをするかわりに物質やマネーを崇拝した末に、今の状況はある。

先の戦争に対してそれを行えなかったことが、今回の大震災の語りにくさにもなっていると思う。

日付が変わってしまったけれど、1月17日は、阪神淡路大震災の日。
失われたものたちのために、生きている者は何ができるだろう。

2012年1月16日 (月)

好きな言葉

「傷とは、そこから光が入ってくる場所」

    スーフィー(イスラム神秘主義)の詩人、ルーミー 

2012年1月15日 (日)

そうなるものなら、そうなる。

今日、お芝居に一緒に行った先輩が言った名言。

 「そうなるものなら、そうなる」

すごい。
Let it be とその未来形、という感じ。

うん! なかなかこの境地になれなくて、いじくりまわしたり、変な努力したりしてしまうんだよね〜。
なぜ、開こうとするつぼみをむきたがるような行為を、人は、自分に対してはするのだろうね。

彼女は、私が今年度のはじめ(2011年4月)から始めた、教える仕事の先輩で、私にとって数少ない、そして心から「先輩」と思える人。
そういう人に出逢えることはしあわせだ。
学校で教える仕事を始めたことが、私にとって今年度いちばん大きなことかもしれない。そのことは、また書きたいと思う。

私は「創作・小説」というものを教えている。
初年度の教師、それも私のような無手勝流の者に当たってしまった生徒たちは、かわいそうに思うのだけれど、あと三ヶ月足らずの間、私が彼らに何をできるか、考えたい。
生徒になってくれている人たちに感謝する。
私は出逢う人々から学んでいるだけの者だ。

恩寵2

私の師が言った

「答えの出ない問題にはまったときこそ、恩寵が降るチャンス」

という言葉。それが私の支えになっていると前に書いた。

私が、葛藤する人間だからだ。
そして葛藤とは突き詰めればいつも、ダブルバインドだ。
プランAをとればプランBがとれない。逆もしかり。
そんなときどうしたらいいのかと思い、いつまでたっても答えは出ない。
しかしその状態こそが、恩寵が降るチャンスと、師は言ったのでびっくりだった。
どうしても、答えを出さないと前に進めないものと思っていたからだ。
でも、

「プランAをとればプランBがとれない。と思っていると、プランZが来る」

それこそ恩寵。
その言葉を支えにしていても、それでもやはり、答えを出して初めて前に進めるのではないかという思考にはまるときがある。

それでも、そんな私にもやはり、恩寵は降るのだ。

あるとき、「じゃあいいや、答えが出ないままで」と思ったら、次の日に、恩寵としか思えないことが降ったことがあった。
「恩寵がこんなにすぐ降るわけがあるか!?」と思ったのだが、「恩寵は、待って待って、やっと降るもの」というのも、ただの思いこみなわけだった。
その思い込みは、私からはずれていった。
だからその出来事は、私にとって二重の恩寵だった。

それでもやはり、葛藤する時がある。
そのたびに、信じ直す。祈り直す。
祈りとは、「意宣り」だと言った人がいる。
自分を宣言すること。
そのとおりだと思う。

2012年1月 4日 (水)

新年のご挨拶とお雑煮と

あけましておめでとうございます。

今年はこのブログを頻繁に更新したいと思います。
どうぞよろしくおつきあいください。

お正月、何をしなくてもお雑煮だけはつくります。
細胞の記憶のように、お雑煮をつくってしまいます。記憶喪失になっても作るのではと思うほど、お雑煮だけは、大晦日から元日になると体がそわそわしてつくり出します。
母親がつくったようにつくりますが、母親がつくったもののほうが、美味しいといつも思うのは、誰にとってもなのかもしれません。

私は東京の杉並の出身で、鶏がらベースのお醤油味、澄んだ薄茶色のスープ。具はあっさりと、小松菜、鶏肉、三つ葉、お餅は角、好みで柚子の皮をトッピング、といったところです。
鶏がらの澄んだスープは、東京っ子好みの味なのか、東京ラーメンと呼ばれるもの、たとえば私が育ったのと同じ区の有名な(一部でかもしれないけど)荻窪ラーメンなども、あっさりと澄んだ鶏がらがベースです。

鶏がらは、「もっとだしが出るのに、もったいない」というところで引き上げないと、まずくなる。そこが、なんとなしに、江戸っ子の末裔好みかなと思います。

中学生ころまで、1月15日くらいまでは朝にお雑煮を食べていたほど、私は自分の家のお雑煮が好きでした。
そんなに好きなので今年、いろいろな人に、生まれ育った土地のお雑煮をきいてみました。
これが実に多種多様です!
ベースが私の家と同じでこれに焼のりを手でもみかつお節と一緒に入れる(ちょっと海に近い地域)、アゴ(とびうお)だしにブリ、すまし汁に蒲鉾、餅も角餅、丸餅の別があり、最高にエキゾチックなのは白味噌に餡入り餅というもの、すまし汁に具がどっさり入っていくらまで入っているもの、などなど、本当にヴァリエーション豊富でした。

お雑煮は「雑煮」というその名が示す通り、その地域でとれる多様なものを、汁というひと椀の中に合わせて、新年に食すという文化なのだと、人々にきいてみて、わかりました。
多種多様でありながら、ひと椀の汁ものに統合する、という作法が共通しているのも、見事です。

日本は多様性の国なのだと感じました。
雑多と言えるほどに多様でありながら、底に統一性が流れています。

そういうことは、忘れられているけれど、私が何はなくともお正月にお雑煮をつくるように、細胞の記憶のように持たれていると感じます。
そういうものを、再発見し、表現したいと、近年考えてきました。
日本人の誇りを取り戻すということでもあるけれど、それは、精妙すぎるほどに精妙な感覚。
だからこそ、表現されるべきだと思っています。
小説でも、コラムでも、私の求めることの一系統に、確実にこれがあります。
今年も追っていきたいと思います。





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