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2013年12月

2013年12月31日 (火)

2013年最後のあいさつに代えて〜「永遠」ということ

私は、ブログを書くのが本当に苦手だ。と、今年の最後の日にあらためて思う。
何を書いたらいいのかわからないんだもん。
距離感がわからない。
誰かがそこにいると仮定して、その誰かに語りかけるような文章が私には書けない。私生活の出来事を書く気もしないし、それに誰かが興味を持つとも、持ってほしいとも、思ってない。
もっと言えば、他人の私生活に多大な興味を持つのは、自分も他人も、健康なことだとは思えない。

だからFacebook(みんなでいいとこ見せ合うあのホームパーティみたいな)もあんまり好きじゃないし、すぐにディスり合いや炎上になる掲示板もできなかったし、Twitterに至っては、アカウントだけ持ったまま、しない、っていうかできないっていうか。
「依存症の気味があるんですよね」と言ったら、湯山玲子さんに、「それはTwitterは絶対×10000,しないほうがいい」と、おもいっきり止められたのだ(笑)。
広告や出版やイベント業界の一線で活躍してきた湯山玲子さんに止められるというところが、説得力ありすぎてTwitterは開店休業状態(こんなところで名前をだしてすみません、湯山さん。でも、さすがに湯山さんは正しいと思う。私がTwitterにハマったら、炎上させないまでも、他のことが何もできないのは見えてる)。

本当に下手だなあと思う、自分。でもそれが自分なのでしかたない。

私の文章はずっと、いるかいないかわからない人に対しての、「いてほしい」という、祈りのような文章だった。
それは虚空に投げる言葉。
瓶に詰めて海に流す手紙。
誰かが読んでほしい。誰かに届けたい。でも誰に届くかなんて知らない。
物心ついてからというもの、場違いな舞台でズレズレの芝居をしている役者みたいな感じがしていた。だから私の文章は、基本的には、やっぱり祈りだ。

もし、私の文章を読んでくれている人や、このブログが更新されることを楽しみにしている人がいたら、謝ります。
私には、読んでくれる人との距離感はうまくわからないけれど、そんなブログでもいいので、これからは書いてみようと思う。
ブログやSNSっぽい文章は書けないけど、コラムや本当のつぶやきと思えば書けるだろう。そういう文章のほうがエネルギーがいるけれど、そうしか書けなければ、そう書くしかない。

今年の終わりに、クリスマスの日の出来事を書きたいと思う。
誰かが読んでくれたら、やはりうれしいと思う。

☆ ☆ ☆

クリスマスの朝。
すごくすごく久しぶりに、あるCDを手にとって、聴いた。
何年ぶりだろう、もしかしたら、十年とか、そういう単位だったかもしれない。
それは、私が大好きだった宝塚星組のトップスター、紫苑ゆうの退団公演(1994)のレビュー演目だった(宝塚の舞台は、一般的には、劇とレビューの二本立て)。
タイトルを『ラ・カンタータ!』という。
私は宝塚歌劇を愛していたけれど、それは、紫苑ゆうとほぼ同義だった。
宝塚歌劇を好きになったというより、紫苑ゆうに出会って宝塚歌劇を好きになった。

その朝に限ってなぜ『ラ・カンタータ!』を聴こうと思ったかはわからない。ずっとそこにあったのだから。
クリスマスだったからかもしれない。
そこに赤い燕尾を着たサンタ、じゃなくて紫苑ゆうが、いたから?
きらきらスパンコールが生誕祭のきらきらした空気とよく合っていたから?
私はクリスマスを、イエス・キリストの誕生日というふうには、あまり思っていない。昼がいちばん短くなる冬至の頃に、太陽の復活を願って行う世界各地の祭りを、教会が利用したんじゃないかと思っている。
でも、太陽の新生にはふさわしい日だ。

『ラ・カンタータ!』を私は手にとって、ステレオのディスク受けに置き、リモコンで再生した。
そして、まあ普通に、家事なんかし始めた。
それはごく普通の一日だった。
そのとき。

時間と空間のすべてが変わった。
時の流れが不意にゆっくりとし、空気の粒子が細かくなって、まるで手に取れそうに、そこにあった。

紫苑ゆうが歌い始めたのだった。

彼女と初めて出会った瞬間、そして2013年クリスマスの朝の瞬間。
まるで違うのに、全く、同じだった。

彼女との初めて出会いも、こんなだった。テレビの劇場放映が、実家で漫然とかかっていて。
彼女の二番手としての最後の演目『紫禁城の落日』。最後のパレードに彼女が階段から降りてきて歌い始めたとたん、私は、そのときしていた雑事のすべてを止めて、バッと振り返ったのだった。
振り返ったその時から、一ミリも動けず、息も継げずに、見た。
というより、私の全てで、体験した。産毛を逆立てるようにして。

その瞬間と、今この刹那。
全く違うのに、全く同じだった。

「永遠」ということの意味が、少しわかった。

私の師が、「永遠」について、こんなふうに言ったことがある。
「『永遠』とは、時間がどこまでもあるってことじゃありません。そういうのは地獄って言いませんか? 『永遠』とは、瞬間にすべてがあるということです」
その話を聞いたときは、ピンとこなかった。

けれどその瞬間に、すべてはあった。
それは、あれからほとんど20年経ってんのよねってことじゃなく、あの人たちはそれぞれに別の場所で生きて何歳でそれぞれ別々の人生を歩んでて、たとえば相手役だった白城あやかは今はタレントの中山秀征の奥さんで四人の子がいるのよね、なんてことでもない。

その瞬間は、今、ここにあって、今と一緒に今、ここにあって、時間は直線のようには流れず、連続していず、循環するでもなく、全ては今であり、瞬間であり、全ての瞬間は今ここに同時にある。
あの一瞬は永遠で、今と同じときにここに存在する。
この一瞬は永遠で、あの一瞬と時を超えて共振を起こす。
何かを追体験しているんじゃない。記憶の再生じゃない。
今ここでする、初めてのまっさらの体験。
共振。
なんのタイムラグもなく。

共振の一閃は、どんな思考も否定できない、上書きできない。
私が思考でいっぱいのとき、共振は起きなかった。そのとき私は音叉を握りっぱなしにしていた。

共振は、こんなふうに起きる。
それが起きるなんて期待していないときに。
普通にBGMかけながら家事なんかしようと思うときに。
だから、それはどんなときにでも、起こる。

CDはフィナーレにさしかかり、全員が主題歌を歌いながら大階段(といわれる舞台装置)を降りてくる壮観なパレード。
その歌を私はずっと、メンバーが歌い継ぐメドレーそのままに歌えた。逆に言うと、声色までをすべてそのときのパレードそのままにしか歌えない。宝塚歌劇の男役と娘役は、主旋律が一オクターブ違う。一オクターブの違いもそのままに、その歌はそういうものとして、私は今もそっくりそうしか歌えない。

頭のなかにあった記憶のほうが捏造されていることもあって、パレードの最初の歌手(エトワールと呼ばれる)を、娘役トップの白城あやかだと記憶していた。
でも、歌い出しからして、白城あやかじゃないと気づく。
構成を考えるなら、トップは最初には出てこないものなのだが、それより何より、声質と高音の抜ける方向が違うのだ。
出雲綾!!
娘役の中では年かさの役やちょっとヒール役を演ることの多かった実力派の娘役。
次が、真織由季(この人だったことは忘れていて、宝塚研究で知られる川崎賢子さんに訊いた)。でも声は覚えている。ちょっとワルっぽさとケレン味があり、確実で上手い、けれど特別に好きという声ではない、でも、この声でなくてはならない。次の稔幸は鼻にかかった声で出の拍をちょっと遅れ気味に歌う、続く麻路さき(男役二番手)ははっきりと歌が下手(麻路さきさんのファンのかたごめんなさい)だが、その歌も、ここにはこれでなくてはいけない。

人生に現れる、どんな人も、その人でなければならない。
どの一人が欠けても、その体験にはならない。

そしてトップスターが降りてくる。。
今初めて降りてくるように、降りてくる。

『ラ・カンタータ!』の意味は、「讃歌」。

☆ ☆ ☆

もうすぐ新しい年がくる。
でもきっと、区切りなんてないんだな。


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