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2016年5月26日 (木)

私は「よじれ」を大切にしたいーーオバマ大統領の広島訪問に寄せて

朝日新聞のインタヴューを受けました(5/25夕刊)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12376315.html

このインタヴューは、終盤に反省点がある。終盤をまとめきれなかったか、わかりやすくまとめすぎたか、どちらかのように思う。自分が本当に大事に思うことのほうにもっていけなかったのは、私の反省。
どのトピックを選ぶかには、話者の希望が通らないときもあり、それは了解している。また、紙幅と時間との戦いで、デリケートな議論は置き去りになることがある。インタヴューはむずかしい。
補遺を、書いてみました。


***

私のフォーカスは、憲法を賞賛することより、私達の中の「よじれ」を大事にしたいのだ、ということだった。


「解消したい」のではない。「大事にしたい」のだ。
最後まで読んでもらえたなら、その意味をわかってもらえるのではないかと思う。


「よじれ」とは、日本が敗戦とその余波の暴力状態を受けつつ、同時にそれによって得もしたのだ、ということ。
そこに嘘をつかず、居直らず、卑屈にもならず。


私が日本国憲法について触れたのは、日本国憲法を礼賛したいからではなく、オバマ大統領のある種の「夢想家」の資質が、かつて日本国憲法を書いたアメリカ人たちと、通底するものがあるように感じたためだった。


日本国憲法には、一国の憲法に、「世界の平和」のことが書いてある。
日本国憲法と言えば戦争放棄の第九条が有名だが、前文が私は好きだ。


  「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」


もし私がオバマ氏に会うようなことがあったら、「あなたは、日本国憲法の草案を書いたアメリカ人たちに親しさをおぼえたことはないか?」と訊いてみたい。
そんなふうに、思ったのだ。インタヴュー本編ではそう語った。
幾度かの改稿で、ここが落ちてしまった。


オバマ大統領の演説を見て、彼は自身をキング牧師などに列する者と位置づけていると感じてきた。黒人がアメリカ社会で公然と差別されているとき、平等な社会を夢見たキング牧師などに。


キング牧師がアメリカ公民権運動をしていた時代には、黒人が大統領になるなど夢のまた夢だった。
しかし、成ったのだ。成ってみれば、歴史の必然のごとく。


つまりは、あるとき、そのときにはない理想を夢見る者がいて、後世において、それが当然となった。
あるときには夢想と一蹴されるようなことを、真剣に提示した者がいたからこそそれは成ったのである、という信念がそこにある。
だから、実効性がないというそしりを恐れず理想を語るのだと思う。


オバマ大統領の「核なき世界」のヴィジョンのはじめが示されたプラハ演説(2009年)を見て私が感じるのは、


「第二次世界大戦とその余波の冷戦をほんとうの意味で終わらせよう」
というオバマ大統領の意志だ。


第2次世界大戦と、その大きな余波である冷戦構造。
核の全面対決にならないように戦争が局地戦となり、代理戦争化し、そうした荒廃の中に、内戦やテロリズムが連鎖してきた。
世界は、まだ、第2次世界大戦の戦後処理をできていないのだ。
私たちが生きているのは、そんな世界だ。そんなニュースばかりの毎日だ。


私は「バリバリの護憲派」ではないし、憲法は未来永劫変えるべきではないとも思わない。ただ、日本人が戦後七十年もこの憲法とともにあり、日本人の多くがこの憲法を大事に思ったことは事実。その歴史は歴史として、一度きちんと受け止めておくべきだと思う。と言った。


そして、この特異な二国関係の中に、未来へのヒントはないだろうか、と考えてみたい。
思えば、それはすでに、勝者と敗者や被害加害の関係を超えているのだ。


プラハ演説でオバマ大統領はこう言った、

 「核保有国として----唯一、核兵器を用いたことがある国として----アメリカには、核兵器を廃絶する道義的責任がある」


ここには、身勝手さと崇高さが同時にある。

これこそが、日本にあったよじれの感情の源泉でもあるし、アメリカが世界中で憧れられ、同時に嫌われてもきた所以であろうと思う。


爆弾を落としておいて、落とした責任においてこれを葬りたい、というのは、欺瞞であるとも言える。
しかし、オバマ大統領はそのよじれを超えていこうと、苦しみ、自他に訴えているように見える。


プラハ演説はまた、エネルギー問題などにも触れる。
戦争とエネルギー問題は密接にかかわる。ひとつの戦争の時代を終わらせようとすることは、そこまでの視野を必要とするものだろう。


ひとつの戦争の影響は、半永久的に続く。
勝った国の民も、苦しむ。


核兵器の廃絶はもちろん人類のためになることだと思う。が、それが「戦争の連鎖を終わらせる」という意志に基づいていないならば、核兵器は廃絶されても、別のより壊滅的な兵器が開発されるかもしれない。


本当に第二次世界大戦とその戦後を終わらせるには----そして争いや収奪や奪い合いや、恐怖や欠乏や無知を超えた「皆が共存しうる世界」を目指すには----日本にとってもふさわしい時期であるように思う。
本当の意味で「戦後」の実相が露呈してきたのは、近年なのだ。


私たちはよじれた立場にあったし、今もある。私はまず、それを認める。
私たちは暴力下に置かれ続け、同時に得もしてきたのだ。
そのことは、私たちに、私たち自身のことを語ることをむずかしくしてきた。


しかし今。
争いや奪い合いや暴力連鎖を超えた世界を考えるとき、日本のもつよじれた立場は、弱さでなく強さでありうるのだと思いたい。


なぜなら、よじれを自ら超えていこうとすることは、より高い水準の理想を想定するしかないから。
ただ自国だけでなく、二国間の支配や服従や利害調整でなく。


もちろん夢想に聞こえるかもしれない。
でも夢を想定してみなければ、そこへ行く具体的な道も、考えることができない。

 オバマ米大統領が27日、広島を訪問する。原爆を投下した国であり、同盟国でもある米国のトップの被爆地訪問をどう受け止めるのか。小説『東京プリズン』などで戦後日本に向き合ってきた作家の赤坂真理さんに聞い…
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