映画・テレビ

2010年12月16日 (木)

佐渡先生が酔いどれのわけーー観ずに語る『SPACE BATTLESHIP ヤマト』

 ブログって、書こうと思うと一日三つくらいアップしちゃいそうだし、仕事に差し支えるのでその衝動を若干なだめるとゼロになったり、更新しない日が続くと意地になって更新しないという気になったり、バランスがむずかしい。ツイッターが前世いや全盛の昨今、こんなことを言っている人間も珍しいでしょうが、ツイッターってほんとよくやれるなあ、と他人を見て感心するよりほかはない・・・かなり中毒性が高いともいうのだけれど、心の平衡を壊しちゃってる人はいないんでしょうか、私は性格が依存症的なのでとてもできません・・・デイトレードといっしょでツイッターで生活壊れてる人っていないんでしょうかと心配する今日この頃の老婆的乙女心であります。
 というわけで、観ずに映画レヴューなどをやってみます。

  『ヤマト』を劇場で観たいと、一ミクロンだけ思っている。こんなお年寄りが多ければヤマトはそこそこヒットするだろうし、それらピープルがDVDまで待ってしまえばコケるだろう。しかし、子連れで見て子供が楽しいものとは全く思えない。『ヤマト』は私にとっては幼年期の終わりに観たアニメで衝撃を受け、次に衝撃を受けるのが『エヴァンゲリオン』、というのは、これこそがワープ体験である、とかうそぶいている。
 手袋くわえた木村拓哉が(彼はなぜかいつも何かをくわえて歩いている。忙しさが美徳だった時代の残党だろうか? それとも前世が犬?)古代進というのはなんだかな、とは思うけれど、さりとて他にできそうな役者もいないのだ。木村拓哉需要の一端を見た気持ちである。アニメ顔っていうのかしらこれ、小栗旬・・・・・・ではダメだし水嶋ヒロ、やっぱダメだし藤原竜也、これもだめだしオダギリジョー、腐肉とのハーフみたいな彼の不思議な肉質はむしろ敵役のデスラー総統に推薦したい。かろうじて向井理? やっぱりだめだなあ。彼には南方戦線があったことだし、どっちかっていうと通信兵って感じだし。そういえば通信兵の相原君が映画ではさっくり削除されていると言う。いけない。彼は宇宙空間での人間のもろさを表す重要なキャラだったのに。
 キャスティングで残念だったのは、原作で紅一点の森雪役を沢尻エリカが降りたこと。彼女の、グラマーではないがエロイ曲線とか目じりや睫毛のラインは、松本零士のヒロインに本質的に通じるものがあった。彼女が出てたら、コスプレとして楽しめる作品になったかもしらん。黒木メイサには、森雪のちょっと白痴っぽいエロスが出てない。沢尻エリカ様におかれては、『銀河鉄道999』のメーテルのオファーが来た日には逃さず掴むことをお勧めする。それで時々、謎の銀河存在に罰を受け鞭打たれる! どや! 
 いただけないことはたくさんある。木村拓也は38歳かもしれないが、森雪が古代進を「古代さん」と呼んではいけない。芸能界の序列もあろうがそこはジャニーズ事務所の偽リベラリズムよろしく君付けで「古代君」と呼ばなければならない。なぜ先輩にも君呼ばわりのジャニーズ方式が偽リベラルかというと、よく聞くと同い年や年下には君付けしないので、「君付け」は「さん付け」と同じ法則でできていて、アメリカかぶれだったジャニー喜多川、ユーもまた儒教圏の人だったんだねとわかるからだ。
 とにかく「古代君が死んじゃうっ!」と「古代さんが死んじゃうっ!」ではわけがちがう。
 酔っ払いの軍医、佐渡先生が高島礼子というのもいけない。これがいちばんいけない。日本酒を勧めてくれお酌もしてくれる、という連想からかもしれないが、考えてもみよ、保健室にお色気要員がいてお酌なんかしてくれた日には、兵士の士気が上がらないことおびただしい。場合によっては兵士の現実逃避のきっかけにさえなる。穿った見方をすればそれは、高度経済成長期に「企業戦士」たちの癒しとなっていたと言われる「バーのママ」機能が期待できるのかもしれないが・・・・・・
 佐渡先生は、今になってみると原作の隠れキーパーソンではないかという気がするので、ああいう人でなければならなかったのである。佐渡先生を女に代えるくらいなら女性エンジニアチーフかなんかのほうが説得力がある。私はエンジニアチーフの真田さんのファンであったけれど・・・・・・。『スター・トレック』の最新のものは女性艦長だ! 女機関長もけっこういいね。

 だけど佐渡先生の改変だけは、いけない。

 佐渡先生は沖田艦長、徳川機関長(ああ、松本零士がなぜ徳川という姓を持ってきたかも興味深いですね!)と並んで、「古い戦役の時代」を体験し語れる年代の人間で、経験のない若い速成クルーの役に立つ。お年寄りたちは、平時でとっくにお役ご免となり「老害」とかおそらく煙たがられていたのであるが、とつぜん地球が宇宙からの侵略を受けたために、若いクルーを率いて老骨に鞭打って立ち上がり、銀河の彼方イスカンダルへ長征何千光年することになったのである。
 佐渡先生。基本的には愉快な人で、猫が親友で酔ってはたしか軍歌なんかうなる佐渡先生。
 彼が、なぜそう造形されたか、今になるとわかる気がする。酒は大人なら誰しも多少はたしなむ。けれど「いつも飲まずにはやっていられない」となると、理由がある。

 佐渡先生が一日中飲む理由は何か?

 先の戦役の傷は、誰もが胸にしまって言いはしない。それは日本の「先の戦役」と全く同じである。
 でもなんらかの「症状」として出す人はいた。それが「自殺」である人もいただろう。

 私の叔父が海軍兵学校にいた。叔父が、家族同然かある意味それ以上に大事にしていたのが兵学校の同期で、叔父はいつもへ医学校の同期と一緒にいた。その中に、愉快な酔っ払いのおじさんがいた。昼間っから飲んでいて楽しい話をするので私は好きだった。が、あるとき彼はとつぜん自殺した。意味がわかったのは、かなり後のことである。

 つまり、<あの人はしらふで戦後を生きていけなかったのだ>、ということが。

  たとえ周りの人すべてが過去を忘れたように生きていても、忘れられない人、それに耐えていけない人、などは一定の割合で存在する。存在しなければまた、その社会は不自然だろう。またそういう人たちをなかったかのように扱ってきた私たちの社会は、かなり不自然だったと言える。
『宇宙戦艦ヤマト』は、戦後がまだ終わっていなかった時代に必要とされた物語である。そして今も戦後は終わってないからこそ、今さら実写になりえたのかもしれない。
「もはや戦後ではない」とは、それが事実でないからこそ、言われた。そのコピーが忘れられてしまっても戦後ではあり続け、今でも戦後処理はできていないと思う。今の社会の不具合は、戦後にでき米ソ冷戦下で確立されたシステムが、もう機能しなくなっても代案を政府が出せない状態だと思うから。 

 だから、片道分の燃料だけを積んで、まるで死出の旅に出てあえなく撃沈された戦艦大和が、実はまだ生きていて、それと日本人こそが地球を救う、というヒロイズムがある時代に必要だったのだし、今もある程度、必要なのかもしれない。穿った見方をすればね。