お知らせ

2015年8月 9日 (日)

『東京プリズン』増刷のお知らせと御礼

7月下旬に、小説『東京プリズン』の文庫版が10刷になりました。
「『戦後論』はこの本から始まった」という今回の帯のコピーが、とてもうれしかったです。

最初に出た2012年7月、そして書き始めた2010年ころ、進行形の「戦後論」というものは、あまりさかんではありませんでした。
まして「敗戦は続いているので は?」という直観によるものはなく、小説ともなると、さらにまれでした。21世紀を10年も過ぎてそんなことを感じてしまう私は、どこかおかしいんじゃないかと思い、とても不安だったのをよ く覚えています。

いろいろな人に励まされ、助けられて、本にすることができました。この場を借りてお礼申し上げます。...

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赤坂 真理さんの写真

2015年2月11日 (水)

テレビ出演のお知らせ 2/12 20:00-NHKBSプレミアム

【テレビ出演のおしらせ 2/12 20:00-NHKBSプレミアム】
http://www4.nhk.or.jp/heroes/
今日2月11日は、建国記念の日。
元は、紀元節。神武天皇が即位したと言われる日。
そして同時に、近代国家日本の建国の日とも言えます。大日本帝国憲法(明治憲法)公布の日でした。というより、大日本帝国憲法公布の日に、明治政府は、紀元節を選びました。

今の目で見ると掛け離れてみえるこの二つの祝いごと。それを同時に寿ぐところに、明治国家の秘密がある、と私は思います。そして、そのことは今でも私たちを規定し、あるいは、縛っています。(たとえば、現行憲法は構造を見れば明治憲法と同じです。一条から天皇のことです)

この番組では「伊藤博文」と「明治憲法」をキーに、今も私たちに大きく影響する、「明治という国の作り方=国のかたち」をさぐっていきます。

伊藤博文、ほとんどイメージの無い人だったのですが、面白い! 遊び人だったことも知りませんでした! 

「明治憲法≒近代日本のかたち」は、かなりの割合で伊藤博文がつくったものです。なのにその人のことを、現在の国民がよく知らないというのも、一種の異常事態かと思いました。
現在の憲法を考えるにも、伊藤博文の足跡をたどるのは意味があります。

何より、面白い、愉快な人であることは、私が保証します!! 私はときめきをおぼえました。
ぜひ、知ってみてください。

再放送は、2/20 午前8時から。

2015年1月 6日 (火)

安藤礼二さんと対談(1/27 五反田ゲンロンカフェ)

1/27(火) 午後7時から、なんと!安藤礼二さんとトークします! なんと!というのは、安藤礼二さんに対話者として指名されるのは、私自身がなんとの驚きと喜びだっ たから。安藤礼二さんは、私が折口信夫と本当に出逢ったきっかけ(出逢ってても本当の意味では出逢ってないことって、たくさんあります)。そして私の大ア イドル。

その安藤さんのデビュー作『神々の闘争 折口信夫論』を読んだ時、「なんだこの人は!!?」と衝撃を受けました。折口信夫を論じるのではなく、折口信夫「として」そこに立ちコトバをゼロから生成しているような感じがしたのです。
それは、本なのだけど、間違いなく「現場」であり、創造のゼロポイントだった。
そのことに私はふるえました。
折口信夫は、神が降り立つその「現場」に立ってコトバを紡いだ、その折口を「研究」するのであれば、その「やり方」こそに共振するのが真の継承者だと思った。

そしてそれが、(現代では忘れられかけているけれど)、「批評」という行為の本来の意味なんだ。
「読む」とはそれを「生き直す」こと。
「読む」とは創造的なことであり、「書く」と同じこと。

実を言うと、安藤礼二さんに話をうかがわなければ、私の小説『東京プリズン』は、なかったのかもしれない。少なくとも、ああではなかったと思う。
そのフィードバックが返ってくるなんて!
その人と今お話しができて、本当にうれしい。

場所は、東浩紀さん主催のゲンロンカフェ(五反田)

クローズドで、ニコニコ動画配信なんかもあるみたい。
詳しくは主催者にお問い合わせください。

http://peatix.com/event/67794

2015年1月 4日 (日)

新春の挨拶のようなもの

昨日(1/2)、自分が出たテレビ番組の『100分de名著』の放映を見た。
http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/2015special/index.html

自分が出たテレビ番組をちゃんと見るのは初めてで、その意味でも自分の中で大きな意味のあった仕事だった。
100分の番組を録るというのは大変で、午後3時ころ現場に入って、打ち合わせから始まり、終わったのが午前1時を回っていた。現場の人って、ほんと大変。頭が下がる。

誰もが一度は朦朧としたと思う。自分があれをできたのは、そもそも出ることを決めることができたのは(教養があるタイプではないので、ああいう場にはあまり出たくない。頭のいい人ばかりだもの)、司会の伊集院光さんの力が大きかった。

もともとファンだったのだけど、よりファンになった。
休憩のとき、「ごめんなさい」と私たち出演者に謝っていた。
「俺がわかったふりをして進めれば、もっと速いのに」と。
それにとても心を打たれた。
瞬間瞬間、全開、全身全霊で当たらないと「わからない」ことには対処できない。
既知で対応しない。既知の範囲に収めない。いつも新鮮に反応する。

私もそうありたいと願っている。でも、つい、バカを隠したかったり、空気を読み過ぎたりして、わかったふりをしたくなることは、ある。初心を忘れる。
やっぱり、それはすまい。
ひとつひとつは小さな「それ」が積み重なって、今の社会はこうなのじゃないか?
そんなふうにも思った。
わかったふりはすまい。
すべての無知を自分が引き受ける、それくらいの覚悟でいよう。
そう思った。
真夜中にそう思ったことを、忘れない。

伊集院さんのみならず、すべてに助けてもらった。
いつもそうであることを、再認識させてもらった仕事だった。中沢新一さん、斎藤環さん、松岡正剛さん、武内陶子アナウンサー、ディレクターにプロデューサーにカメラマンに編集さん。
その日の授業を休講にさせてくれた私の生徒ちゃんたちに助手くん。同僚たち。見てくださった人たち。このブログや私の本や記事を読んでくださる人たち。家族。愛すべき友人たち。みなさんに、この場を借りて御礼を申し上げます。

なんだか大げさな気もするけれど、新春の挨拶みたいにもなりました。
本年もよろしくお願い申し上げます。

(興味のある方は、再放送かオンデマンドでチェックしてみてください。出演者の私にとっても、今とても必要な智慧が、そこにありました)

2015年1月 1日 (木)

新年のごあいさつ と訂正(『100分de名著』は21:30から)

あけましておめでとうございます。
今年はキュンキュンな小説をぶっとばしていこうと思います。

新年早々訂正があります。
昨日のブログの告知ですが、テレビ番組の時刻が30分早い始まりになっておりました。
1月2日の『100分de名著』は、Eテレ21:30からです。
記事は修正ずみです。

折口信夫『死者の書』を語ります。
『死者の書』を胸キュン恋愛小説だとは、不思議なことに言う人があまりいないのですが、作者がどう読んでもそう書いている(と私は思う)ものを、そう読まないのは失礼であろう!と私は思うのです。
多くの人が折口と、初めて、丸ごと、出会えることを願って語ったつもりです。
話し方はつたないですし、びっくりするほどものも知らない人間ですが、誠心誠意やってはおります。目立つところにバカがいるのも、見ている人の気が楽になる効用がもしかしてあったりするかもしれない、と思っています。
ご指導ご鞭撻いただけたら、さいわいです。

本年もどうぞよろしく。

2014年12月31日 (水)

【TV出演】2015年1月2日 100分de名著 

1月2日、21:30よりNHK Eテレの『100分de名著』に出演します。通常は、一人が一冊を四回(合計100分)担当する番組なのですが、新春スペシャルということで、名著4冊の紹介者4人で一挙100分放映です。
そして、大きなテーマがこれにはあります。「日本人とは?」
曖昧に見える「日本人性」、それは何か、4人と、司会の伊集院光さん、武内陶子アナで探っていきます。
一出演者としても、大きな絵が見えてくるような感じと、曖昧さが曖昧さのままにくっきりしてくるような感じ(わかりますか? それがわかったのは、私には大収穫だったのです)に、ぞくぞくしました。
私にかなりよくわかったので、たいていの人にわかると思います。というのは、こういうとき私は、一般人代表だから。

「日本人性」が読み解ける本として、私は、大好きな折口信夫の小説『死者の書』を紹介しています。難解と言われる折口信夫ですが、思い込みを捨てて読んでください!と私は勧めています。歴史なんか知らなくても問題ありません。存在まるごとで出会ってください。するとびっくり、それは世界屈指の胸キュン小説です! 姫と一緒になって、死者にガチで恋をしてしまうような、そんな小説なのです。構造としては『エリザベート』とか『オペラ座の怪人』に似ていて、たましいを扱っている分、それらより懐が深いっ!日本人が誇るべき名作です!!! 必読の書です!!!

収録は、出演者のお一人である松岡正剛さんの事務所の一階「本楼」にて12月2日に行われました。「CGじゃありません」と伊集院さんが断りを入れるような、うっとりするほどの本の楼。
写真前列私の左が松岡正剛さん(編集工学研究所)。後列左から斎藤環さん(精神科医)、伊集院光さん(ファン!)、武内陶子アナウンサー(かわいい☆)、中沢新一さん(人類学者)。先生方、豪華です☆

日本人とはなんでしょう!? 今まさにアクチュアルな問題でもあります。見てのお楽しみです! 1月2日 21:30からEテレでの放映です。
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2014年12月18日 (木)

「天声人語」に載りました!

朝日新聞の「天声人語」に私の本が取り上げられました。
「天声人語」に載るのが夢だったので、うれしいです。

どこにも誰にも属さない、だからこそ開かれた空間。
そういうものが、人間には必要なのだと、ずっと思っています。
お金や、利権ほどには目に見えないけれど----それらだって、本当は実体なんかないのだけど----、「存在」にとってなくてはならないものがたしかにあり、なくしてはいけないと思っています。
そういうものを捨て値で売り払ってきた時代と社会に育って、生きてきて、切にそう思います。

http://www.asahi.com/articles/ASGDH3D0JGDHUSPT008.html

2014年9月14日 (日)

9/14朝日新聞書評面

9/14 朝日新聞読書面に書評を書いております。『「孟子」の革命思想と日本 天皇家にはなぜ姓がないのか』

「天皇家にはなぜ姓がないの?」 一度は考えたことがある人は多いだろうけど、深くは探求しない。
子供みたいな問いですよね。
だからこそ、根源的です。

理由はわりあいさらっと書かれていますが、その「影響」たるや日本史そのものと言えるくらいです。ぜひ確かめてください。驚くべき本です。
http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E5%AD%9F%E5%AD%90%E3%80%8D%E3%81%AE%E9%9D%A9%E5%91%BD%E6%80%9D%E6%83%B3%E3%81%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E2%80%95%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%AE%B6%E3%81%AB%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E5%A7%93%E3%81%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%8B-%E6%9D%BE%E6%9C%AC-%E5%81%A5%E4%B8%80/dp/4846013421/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1410626851&sr=1-1&keywords=%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E5%81%A5%E4%B8%80%E3%80%80%E5%AD%9F%E5%AD%90

2014年9月13日 (土)

内田樹先生との対談が『文學界』に

『文學界』2014年10月号に、内田樹先生と私の対談の様子(7月31日 於リブロ池袋)が掲載されています。

加筆もあります! 「生セッション」も「文字セッション」も、非常にスリリングで贅沢な経験でした。

ご覧になった方、見逃した方!ぜひご一読ください!

http://www.bunshun.co.jp/mag/bungakukai/

2014年7月29日 (火)

父への思いと、よく読めばお知らせと

新宿から首都高四号線に乗って都心環状線へと。神宮の森を右手に見て左の総武線と並走して。しかし仕事がえりに乗った運転手さんが、言ってはなんだが下手な人で、下手な運転手と行く首都高ほど、スリリングなものはない。

この道は、父とよく通っていたルート。子供の頃は、首都高に環状線と放射線があるのも知らず、四号線が私にとっての首都高だった。それでも、赤坂トンネルを抜けると空気がちがうと思っていたのを、思い出す。
父との記憶は、何かの「中」にある。クルマの中、あるいは膝の間。いつでも私はそんなところにいた。いつも「包まれて」いた、と同時に、目線は対面ではなく同じ方向を見ていた。そんなところが、ああ男親だなって、思った。

いつも父のクルマに乗っていて、それをなんとも思ったことがなかった。私は父を、信頼していたのだなあと、父といて安心していたのだなあと、下手なタクシーの中でみぞおちや肩を固くしながら、今さらながらに思った。
クルマで移動を共有するのは独特の体験で、体も心も合わせたトータルなものだ。信頼のある人に、普通にスキルがあれば、その人の運転はいつも信頼できる。 「ハンドルを握ると別人になる人」というのは、噂には聞くが、会ったことがない。案外、都市伝説なのではないかと思う。

えーとね、今日はね、渋谷にある放送局の夜七時半からの番組で、「男の生きづらさ」について話してくださいって言われて、今日は別件でそこにいたので、打ち合わせをしました。
31日、暇ならお目にかかりましょう。
本音いうと、みなくていいよ。きっとすべる。

たしかに生きづらいよな、男。
私はそう思うよ。
女の生きづらさ? んなもん百も承知さ。百時間だって語れるよ。でも、男の事情も、あるんだ。わかれよ、女たち。と、女の身ながらに思ったりする。男の世間も聖域も、なくなっているしね。それに、男の生きづらさは、話しても理解されにくい。

父の屈折や、夢見たこと、叶えられなかったこと。
あったであろう思いがけない幸福や、唐突な最期。
生きているうちには、考えてあげられなかった。こわいタクシーから降りて家に着いたら、緊張が溶けて体に血の気が戻り、はらはらと泣けてきた。